HOW THE LAND IS HELD
土地を、どう受け継いできたか
久高島には、土地の持ち方についての取り決めがあります。
久高島土地憲章といいます。
入口で止まる前に、この島がどういう島なのかを知っておくと、同じ景色の見え方が変わります。
憲章は、前文でこう宣言しています。
久高島の土地は、
字久高の総有に属する。
① 土地を、共同で受け継ぐ仕組み
久高島の土地は、固有地などの一部を除いて、従来字久高の総有に属し、
字民はこれら父祖伝来の土地について使用収益の権利を享有して現在に至っている。
字はこの慣行を基本的に維持しつつ、良好な自然環境や集落景観の保持と、
土地の公正かつ適切な利用、管理との両立を目指すものである。
久高島土地憲章 前文
すべての土地が、というわけではありません。前文には「固有地などの一部を除いて」とあります。
その例外を除いた土地について、字(あざ)=集落が共同で持ち、字民に使用収益の権利がある——
そういう仕組みです。
② 使うには、みんなの承認が要る
- 家を建てるとき土地管理委員会の決定と、字会の承認が要ります(第二条)
- 畑を新たに使うとき同じく決定と承認。5年以上放棄すると字へ返します(第二条)
- 使い終わったとき現状に復して、字へ返します(第二条)
- 取り決めを変えるとき基本原則の変更には、字会の総意が要ります(第九条)
運営するのは土地管理委員会。区長・書記・村会議員・農業委員・郷友会代表を含む
13名で構成され、久高島離島振興総合センター内に置かれます(第三条・第四条)。
この憲章は 1988年(昭和63年)12月3日から施行されています。
1999年(平成11年)8月14日に一部改正され、同日から施行されています(附則)。
出典:南城市『南城市久高島総合計画:基本構想』94〜95ページ「2 久高島土地憲章」
③ フボー御嶽は、国の名勝です
『南城市久高島総合計画:基本構想』には、こう記されています。
海岸線の植物群落が国指定となり、フボー御嶽(クボー御嶽)が
国の名勝として指定されたことは島の誇りである
『南城市久高島総合計画:基本構想』23ページ
同じ資料は、こうも記しています。
「何もないけど何かがある」と観光客が表現し評価しているのは
北側の神の領域として手付かずの自然が残ったことへの評価でしょう
同 23ページ
④ 島の案内は、こう書いています
御嶽(うたき)や拝所(うがんじゅ)は、
私たちが大切に護ってきた心の拠り所です
久高島 公式サイト「島でのルール」
同じ案内に、フボー御嶽は通年立ち入れないこと、
時期によって禁じている場所がほかにもあることが明記されています。
石も砂もサンゴのかけらも持ち帰らないこと、畑や敷地に無断で入らないこと、
ヤシガニを獲らないことも書かれています。ルールは一つではありません。
ここまで読んでから、入口に立ってみてください。
土地を集落で受け継いできた島で、北側は手つかずのまま残されました。
その背景を知って、立入制限を守る。風景の奥にある暮らしと祈りへ、思いを向けてみませんか。
※この最後の一段落は、このサイトから旅人への呼びかけです。
島の方の言葉ではありません。
土地憲章:南城市『南城市久高島総合計画:基本構想』94〜95ページ(前文・第一条〜第十条・附則)
国の名勝/「何もないけど何かがある」:同 23ページ
島のルール:久高島 公式サイト「島でのルール」
『南城市の御嶽』の特別寄稿「南城市 嶽々・グスク物語」を書いた民俗学者 湧上元雄は、
1918年、旧玉城村(現在の南城市)の生まれです。折口信夫に学び、南城市史編集委員長を務めました。
この土地のことを、この土地の人が記録してきました。